2005年10月にブログを始めたから、いよいよこれでブログ3年目に突入。よく飽きもせず、3年間、いろんなことをあれこれ書き散らかしたと思う。
データベースとしてのブログ
以前は、記事を書くこと自体が楽しかったけれど、最近は、ブログ群自体が自分のデータベースとして活用できるようになってきた。
この前作った、スパゲティのレシピ忘れちゃったな、どうだったっけ、あ!そうだ、ブログに書いたよ。検索してみよう、とか。
え?っと、この紅茶美味しそうだったけど、前に飲んだことあったっけ?紅茶ブログ検索してみるか、とか。
この和菓子屋さんの来歴について、どうだったっけか、そうそう、確か昔記事にまとめた覚えがあったよ。和菓子ブログ検索してみるべ、とか。
そういうことが、最近よくある。
管理人の記憶力はもともとかなりお粗末で、最近はさらにそれに拍車がかかって、忘れないために、メモに書いても、そのメモがどこかへ行ってしまって、どこへ置いたか思い出せない、ということがよくある。
まったく、年はとりたくない。
それを考えると、とりあえず、公開可能なことは、ブログに書いておけば、あちこち探す必要もなく、MTの管理画面での検索とか、はたまたgoogleで検索したりとかすれば、あっという間に、自分の欲しい記憶が取り出せるのである。
日記かブログか
日々の事柄を記録する手段としては、オーソドックスに日記を書く、ということもできるが、情報を探すのに時間がかかる。
検索性が非常に悪い。
のちのち、読み返す楽しさというのは、もちろんあるし、日記には日記の良さがあるとは思うが、こう忙しいと、余分なことをしている時間はないのだ。
そうなると、日記を書くか、ブログを書くかということになると、自分の場合、日々の記録もかねてブログを書くことになる。
外部脳としてのブログ
3年間、書き続けたブログはある意味、自分自身の分身だろう。
3年前の自分が書いた記事を読めば、なるほど、そこには3年前の自分がいる。
本体の自分は成長してしまって、もう違うけれど、3年間の自分の記憶がブログに形を変えてウェブに存在している。
自分の脳から外部脳であるブログへ出力することで、頭の中が刺激され、整理され、空きスペースが出来て(?)、新しいことを考えられる。
そして、日記と違って、ブログのすごいところは、そうして出力した外部脳を公開することで、他者との共鳴が起こることだ。
日記は、ある意味閉じた過去の空間だが、ブログは、そこに訪れた人にいくばくかの割合で、なんらかの心の共鳴やアクションを起こさせる力がある。
それはある意味、脳の神経細胞がシナプスでつながっていったり、刺激が伝わっていく様子に似ていないか?
こどもの脳が成長していくように、地球全体にひろがったインターネットは、どんどん成長し、巨大な脳空間になりつつあるのかもしれない。
その行き着く先は、いったい、どんな世界なのだろう?
ふとそんなことを思ったので、せっかくなので、つらつらと、ブログで書いてみた秋の夜。