生きる意味を探すと辛くなる
誰でも自分はなんのために生きるのか?と、一度は人生で自分自身に問いかけることがあるだろう。
それは、進路を決める時かもしれないし、働き始めてふと行き詰まった時かもしれない。
わたしは、それを、高校生くらいから考え始めたような気がする。
いつ、その問いから抜け出せたのかは覚えていないけど、ずっと問い続けている間はとても苦しかったことは覚えている。
若い頃に戻りたいという人もいるけれど、もうあんな問い続けて頭が煮えそうになって、苦しい思いをした日には、わたしは、戻りたくない。やっと答えを見つけたと思うのに、どうして苦い青春の日々に戻る必要があるんだろう?
今の方が、若い頃より全然生きやすい。
生きる意味は、探すものではない、というのがわたしの結論だ。生きる意味は、探すのではなく、自分で決めるものだ。それ以上でも、それ以下でもない。
青い鳥はそこにいる
どこかに答えがあると思って、探し続けると、どうにもつらい。
そして、どこかの誰かが答えてくれたことが、本当にあなたが願う答えなのだろうか?どこかの誰かに聞いて、本当にそれであなたは納得するのか?
あなたはどこかの誰かがくれた答えを胸に人生を生きるのだろうか?
そうではないだろう。
探すことをやめた時、答えは見つかる。それは、ずっと自分の中にある。本当は自分の心の奥底に眠っているだけなのだ。
青い鳥は、気がつけば家にいた。それは、本当のことだとわたしは思う。
自分が好きなものから目をそらしているのだから、苦しいのは当然だ。
人は自分の本当を見つめるのが怖い
じゃあどうして、自分の中にあるものをなかなか見つけられないのだろう?
それは、自分の本当を認めてしまうのが怖いからだ、とわたしは思っている。
自分の一番を、自分の本当を認めてしまえば、それと向き合わざるを得なくなる。
もし、自分が才能がないとわかったら?
もし、誰からも相手にされなかったら?
大事なだけに、玉砕してしまったり、何かあったときのダメージは大きい。
人は、それを知っていて、認めるのが怖いから、どこか他の場所を探し続ける。
でも、探したって見つかりはしない。全然見当違いの場所を探しているのだから。
心のドアを叩きつづける音
心の奥からがんがん何か叩き続けられているような気がしたことはないだろうか?
何かがここから出してくれと言っているような気がして、苦しい思いはしたことはないだろうか?
自分の本当と、向き合うまで、きっとそれはとまらない。
わたしも、ずいぶん遠回りをしてしまって、その間はずいぶんと苦しかった。何かがどんどん心の奥底をたたいている感じ、ここではないという違和感、そういうものをずっと感じていた。
今は・・・
心の奥のドアをたたく音は消えた。
ときどきつまづいたり、迷ったりすることもまだあるけれど、わたしはわたしが歩きたいと思った道を歩いている。
わたしはここにいていい。なぜなら、わたしがそう決めたから。
わたしの人生は、喜びも悲しみも後悔さえもすべてわたしのものだ。
自分の人生を生きるために
でも、残念だけど、わたしはまだ誰かにそのことを伝えて、具体的にどうしたらいいのか、という方法を教えれるまでにはいたっていない。
だから、わたしのかわりに、あなたが自分の人生を生きるために役に立ちそうな本をおすすめしておく。
それが、千田琢哉さんの「死ぬまで悔いのない生き方をする45の言葉」だ。
まるっきり、わたしの考えと重なってるわけではないけれど、自分の人生を生きるために必要なことや、きっかけにできることがたくさん書いてある。
自分の人生を生きたいと思った人は、是非本書を読んでみてほしい。