先日、ソーシャルのタイムラインを見ていたら、ブロガーVSアフィリエイターの記事が流れていました。
頭痛がして暇だったので、そのことについて考えていたら、自分について一つ発見したことがあったので、メモ代わりに書いておこうと思います。
ブロガーかアフィリエイターか
ネットの一部界隈では、たまにブロガーとアフィリエイターについての論争が巻き起こったりします。
それを見たとき、興味を持ちながらも、居心地の悪さを感じる自分がいました。
わたしは、ブログっぽいサイトを運営しているので、ブロガーなのかもしれません。
そして、アフィリエイトを利用しているので、アフィリエイターなのかもしれません。
しかし、自分をブロガーとか、アフィリエイターと規定すると、とてつもない居心地の悪さを感じる。
なんというか、はみ出してる感じ?
自分はそうではない、と反発する気持ちを抑えることができないのです。
この居心地の悪さは、いったいどうしたもんか、と長年疑問だったのですが、ようやくわかりました。
要はアイデンティティの問題だったのです。
言葉使い師
わたしが自覚している自分のアイデンティティは、「言葉使い師」です。
なんやねん、それ?という話しですが、これは、SF作家神林長平さんの小説「言葉使い師」に出てくる人物です。
子供の頃に読んで感動したきり、感動が消えるのが怖くて、最近再読はしてないのですが、確か、言葉使い師である彼が、夜空に言葉で赤い薔薇を描き出すというシーンがあったのです。
中学生か、高校生か、大学生か、いつ読んだのかはっきり覚えてないのですが、わたしは、そのシーンを読んだ時、とても衝撃を受け、クールで格好いいと思いました。
そのシーンはいつまでもわたしの心に残り、そんなことができるようになりたいと思ったのです。
まあ、SFに出てくるような人物になりたいとか、中二病もはなはだしいと思いますが、どうやら、わたしの魂に深く刻まれてしまったようなのです。
刻まれちゃったもんは仕方ないよね。
30年たった今、それがわたしのアイデンティティになってしまっているのです。
ブロガーもアフィリエイターも手段にすぎない
つまり、わたしは、自分自身を言葉使い師=言葉を操る者と規定しています。
ブログを使っているとか、アフィリエイトを利用しているとかは、その言葉を操る環境を構築するための手段に過ぎないわけです。
なので、わたしにとって、
ブロガーなのか、アフィリエイターなのか
と聞かれることは、
パソコン使ってる人ですか、鉛筆使ってる人ですか、万年筆使ってる人ですか、
と聞かれることと同義なのです。
そりゃ、パソコン使ってるし、鉛筆使ってるけど、そんなんで自分を規定されたくないというのと同じ感覚で、ブロガーじゃないし、アフィリエイターじゃない、と否定したくなるのだ、ということに、今回初めて気がつきました。
いやー、すっきり。
あなたのアイデンティティは何?
多くの人は、アフィリエイターかブロガーか、と聞かれても、それがアイデンティティになっているのなら、さほど違和感を感じないのでしょう。
しかし、わたしには、こどもの頃に刻まれてしまった「言葉使い師」というとても強固なアイデンティティがある。それがために、違和感を感じている。
まあ、そんなアイデンティティ持ってる人の方が珍しいわけで。
作者の神林長平さんなら持ってるかもしれませんが、まず、いなさそうな気がします。
マイノリティすぎる。
とりあえず、今回は、自分のアイデンティティを再確認することができて、すっきりしました。
もし、ブロガーか、アフィリエイターかと問われて、違和感を感じる人がいたら、自分のアイデンティティは何なのか、考えてみるといいですね。