解決したい問題があって本がある
書評って、本のタイトル書いて、この本を読みました、この本のここが良かったです、みたいな書き方をしていることが多いです。
その本に興味のある人は別として、興味がなければ、そもそもその書評を読む理由もなくなってしまう。
それは、自分の書評にもあてはまることなんですが、でも、それじゃああまりおもしろくないんじゃないか?それがなんとかならんか、とここのところもがいている感じ?
もがいていくらか分かったことは、
本について語るんじゃなくて、テーマとか解決したい問題とかが先にあって、その解決策や対応方法として本を紹介する。
ブックファーストではなく、テーマファースト?
ということでした。
当たり前と言えば当たり前なんだけど、人が本を読もうとするのは、漠然としてはいても、何か解決したい問題がある、知りたいテーマがあるからではないのか?ということですよね。
ネットがつながらなかったので仕方なく本を1000冊読んで考えた
じゃあ、どうやったらそんな書評を書けるのか、というと、その参考になりそうなのが、ホリエモンの「ネットがつながらなかったので仕方なく本を1000冊読んで考えた」という本。
わたしは、堀江貴文氏の本は買うことにしているので買ったんだけど、読む前に書評本だとわかって、実はあちゃーと思った。
わたし書評本は苦手なの。ね、眠いかも・・・。
と、思いつつ読み始めたら、眠いどころか、最後まで一気読みしちゃったよ。
そして、これは書評本なんだけど、いわゆるネットに量産されてるような、この本読みました、ここが良かったです、的な書評本ではなかったです。
これは、塀の中でホリエモンが読んだ本を彼という軸でキュレーションしている、とてもおもしろい書評本でした。
早速、紹介されていた「ニートの歩き方」とか、ネットで注文しちゃったよね。これね。
誰が発信しているかが重要
この本の最後にある成毛眞さんとの対談にもちらっと出てきた気がしたけど、結局これからはキュレーターの時代。
誰が書評を書いてるのか、というのが大事なんだな、と思いました。
それは、別に有名人だから、というのではない。もちろん、有名人だったらたくさんの人にリーチしやすいと思うけどね。
そうじゃなくて、書評を書く人がその本を読んで、どういう化学反応を起こしたのか?
なぜその本を選んだのか?
そういう部分こそが、これからの時代の書評のおもしろさなのであり、そこをおもしろく伝えられる人がこれから生き残っていくのかもしれない、と思いました。
さらに拡大して言えば、書評に限らず、ブログの記事だって同じ。
この前から、友達といろいろネットの行く末について議論してるんだけど、単に役立つ情報があるというだけではだめ。
これからは、その役立つ情報を誰が発信しているか、というのがとても重要になってくる、ということ。
この人が書いてるから、買ってみよう。
この人が書いてるから、行ってみよう。
そうした影響力=信用で、それがホリエモン言うところの、お金は信用を数値化するものである、というところにもつながってくるんじゃないか、と思いました。
おれの、わたしの書評ってパッとしないわー・・・と言う人は、ホリエモンの書評本を買って、研究してみるといいと思います!
巻末の成毛眞さんとの対談もむっちゃおもしろかった!
<<追記>>
おおおおお、ホリエモンがRTしてくださった!めっっっっっちゃ嬉しい!\(^_^)/ 嬉しすぎるので、記念に埋め込んでおく!!
わお! RT @takaranya: こんな書評が書きたいと思ったホリエモンの書評本! | 女子ビズ http://t.co/klbhvTyFqe @takaranyaさんから @takapon_jp
— 堀江貴文(Takafumi Horie) (@takapon_jp) 2013, 12月 19