「生」と「死」の取り扱い説明書 苫米地英人

「生」と「死」の取り扱い説明書

苫米地英人さんの「「生」と「死」の取り扱い説明書」を読んでみました。

文字数は多くはないので、読むだけなら、短い時間でさっくり読めると思います。

ただし、書かれてあることを、咀嚼し、考え、とりこむには、時間がかかるかも。

本書のはじめに、でも書かれていますが、苫米地英人氏は、日本仏教の僧籍も持っているそうです。

いったい、どれだけの顔を持っているのか、驚くばかりです。

自我の確立と死

さて、思春期の荒波の中、生きることを考え、自我を確立するためには、死と向き合うことが不可欠です。

「限りある命だからこそ美しい」というのは、子供の頃から大好きな銀河鉄道999で繰り返し描かれたテーマ。

生を考えるためには、死とセットで考えなくてはならないのです。

本書では、
宗教は死の専門家
死は妄想
自分とは何か
死の恐怖を克服する
生きるとは何か

という5つの章で、生と死について考察しています。

ちなみに、あの世については否定的な見解なので、そういうものを信じていて、それを壊されたくない方は読まない方がよいかもしれません。

時空における一連のつながりとしての存在

本書を読んでいて、ふと思ったのが、

人間は時空における一連のつながりとしての存在ではないのか、

ということです。

生と死は時空における人間という存在の境界線。

おそらく、一次元上の存在がいるなら、わたしという存在が、時間軸の上でどこからどこまでに広がっているか、というのがわかるのでしょう。

例えば、ありは自分がどこを動いているのか、というのはおそらくは理解できませんが、人間が上から、そのアリを眺めた時、ありがどこからどこまで行ったのか、というのがわかります。

もう一次元上の存在からみれば、わたしという存在の最初から最後までが、時間軸のどのあたりを占めているか、というのは、わかるのではないか、と思うのです。

人間は、時間軸に縛られている存在。

自分の全存在を知覚するためには、時間軸にそって時間を移動するしか方法がありません。

その時間軸を離れ、時間を自由に行き来することができるような存在であれば、生と死は、また違った意味を持つのかもしれませんね。

なんだか、いろいろと妄想が広がる一冊でした。

おもしろかったです。

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