【自分の才能を磨くということ】「特別な人」と出逢うために 千田琢哉

千田本ノック。次に読んだのは、『「特別な人」と出逢うために』。

心に残った部分を3つ厳選してメモ。

まず、今いる場所で実績づくり。話しはそこからだ。

知らない人と会うことに積極的な人がいるけれど、わたしはあまり社交的ではないので、知らない人と会うのは苦手です。

自分から会ってくれとか、恐れ多くてとても言えない。

時間=その人の命の断片だから、わたしと会ってもらうということは、その人の命を削っていることで。

わたしは、それに値する何かを相手の人に与えることができるのだろうか?と思うと、なんだか申し訳ない気がしてくるからです。

あなたにとって「特別な人」と出逢うためには、まずはあなたがそれにふさわしい人間になる必要がある。

せめて、会って良かったと思える人物になりたいものだと思うけれど、ではどうしたらいいのか。

愚直に、今いる場所で実績をたたき出せばいいのだ。

とりあえず、今やっていることで実績を出す。話しはそれからだ、ということらしいので、引き続き、わたしはここで実績を出そうと思います。

継続できること

サイトの運営を2005年10月に始めたので、来月からいよいよ9年目に突入します。

運動とかちっとも続かないのに、サイト運営だけは、調子が悪かろうがなんだろうが、そんなことは関係なく、ついついやってしまう、そういう感じでした。

たまに、意味があるのかな?と不安に思うこともありますが、今回のこれを読んで納得。

気合いや根性だけでは10年は続かない。それだけ継続できるということは、自分に向いていることであり、好きなことである証だ。
逆に、10年継続できない人は、プロになるためのスタートラインには立てない。

まだ9年目だけど、たぶん、まだまだおばあちゃんになっても、続けると思います。

本を読むこと、記事を書くこと、どうやらわたしはこれらのことが好きでたまらないらしいです。

ときどき、食べることより好きかもしれない。

向いているんだと,自信を持とう。

才能の存在を受容する

努力は必ず報われる、というのはウソです。

努力は報われることもある、というのが正しい、と誰かが言ったのを聞いてから、ずっとそう思っています。

わたしは中学・高校と6年間、部活で真剣に卓球をやりましたが、公式戦で一回線をほとんど突破できませんでした。

そのころは、努力したらなんとかなると思っていたので、6年間も卓球をやりましたが、今のわたしなら、高校からは別の部活に入部していることでしょう・・・。

自分、卓球向いてないわ・・・。

日本人が好きな言葉にこんなものがある。
「努力に勝る才能はない」
「努力は必ず報われる」
・・・
ところが、どんなことでも真剣に没頭すると、努力だけではどうにもならない壁にぶち当たる。

なので、これは納得。

どうあがいたって、才能は存在します。

わたしは、運動系はからきしだめです。

ちなみに、夫も運動だめです。

なので、こどもたちが運動得意なわけがなく、少しでもいい成績とったらべたぼめです。父と母のこどもなのに、すごい!!

話しがそれました。

なので、わたしは自分の得意な言葉をフィールドに勝負します。

みんなが同じように同じことをできる必要はないのです。みんな違うから、社会に多様性が生まれます。

むしろ、クローンみたいに、全員同じ方が、何かあったら一発で絶滅してしまうので、問題です。

さて、あなたの得意はなんですか?

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